場を探したり作ったり続けたりする意義

場を探したり作ったり続けたりする意義


私自身、もともとはあんまり能動的に動ける人間じゃないなあと感じてまして(今も取り組もうと思わないことはあんまり興味ないですw)それはどうなのだろうかと思い続けながらも、機会やタイミングに恵まれてコミュニティ活動を続けてきました。

そんな中で、「場を探す」「場を作る意義」「場を続ける意義」ってどうなんだろうなーと振り返りながら考えていました。

(※この話は、自分のタスク管理中にGTDを使って「どういった人生にしていくべきか」を棚卸しする中で思いついたものです。書き殴ったメモのようなものなので、特に整えていない点はご了承ください。ちなみにGTDは非常に素晴らしいタスク管理システムであり、自分の人生を見つめ直すことができる素晴らしいツールです。)


場を探す

ひたすらあるのかを探す、探して見つけられたら、そこが自分の場として成り立つ。無ければ作るしかない、のかもしれない、選択肢が多いか少ないかにもよる。環境にもよる。そのまま諦めてしまうこともある。

私の場合、地元でIT系のことを学べる勉強会があるのかを探しつつ、そもそもは都内に出たい(一時的にでも)という志向を持っていました。そんな中で、shizuoka.pyや静岡Developers勉強会のコミュニティがあったからこそ、静岡でもテック系の活動ができ、仕事にも活かせたのは幸運でした。

何故かビールの写真しかなかったw 主催の皆さんビール好きなんですよw

シビックテック活動も。ごみ収集日アプリ「5374(ゴミナシ).jp」の地元版を作ることから始め、沼津で大先輩とも言える方にお会いできたり、全国のシビックテックのプレイヤーと交流できたり、発表の機会もいただけたり。

コミュニティが心地よかったのもあって、いろんなコミュニティにお邪魔しながら、いろんな方にも会えました。探すこと、求めること、そしてなにかを返すことの大事さはこのときに学べたと思う。

場を作る意義

場をつくろうとしたときは、0から1。もちろん完全に0ではないではないけど、とても力が必要。ノリ勢いも必要。

PyCon mini Shizuokaはそんな中で生まれた。Python駿河やUnagi.pyのコミュニティがPyCon JPで集まり、この話が上がったときから準備まで、楽しすぎた思い出しかなかったと思います。そのPyCon mini Shizuokaは当初は現地開催が叶わず。でもオンラインイベントとして初めて続けたおかげで、その時に参加いただいた方と縁が生まれて、現地開催をしたときに協力してもらえたり、来てもらえたり。静岡のPythonコミュニティは本当にいい人たちが多くて、参加者で色々お祝いしたり、このコミュニティに参加したおかげでカンファレンスの登壇できました!といってもらえることもあった。嬉しい。

Startup Weekend富士(SW富士)はSW静岡に参加して優勝したときに、この濃密で何を経験しても楽しさしかない3日間を地元でできないだなんて!と思ってしまって、始めた。その時もSW三島やSW静岡のオーガナイザーに助けてもらって作れた。開催するときも会場がどうしても見つからなくて困ってたけどこれもオーガナイザーのおかげで会場を見つけ(というより作ってもらったに等しい)開催できた。これも0とはいえない。

場を続ける意義

1を2や更に広げたり、形を変えて1から 1-Aや1'にしたり。継続する、できる?できなかったこともたくさんある。

Fujiこどもフェスは、お手伝いから参加して、実行委員長を務めさせていただきました。コロナ禍の期間での試行錯誤し、イベント自体に期待してもらったり、できる限り親子で楽しめることを考えているスタッフ(ほぼ全員ママさんなのもすごいんです)の熱量は素晴らしい。といっても、様々な方が集まる中でもステージ、タイミングが変わる瞬間も見て、期待と規模が用意できない事も考えた結果、2024年で一旦この形ではファイナルとなりました。この形以外でまたできることがあればいいなーと思います。やってきたことはできるだけ残そうと努力してました。どのぐらい残せたかな?

静岡のシビックテックコミュニティもコロナ禍のときに協力して、様々なプロジェクトをやりました。支援情報のまとめサイトや、状況ダッシュボードを見られるようなとりくみ。こんなときに一人の人間としてどうするかを考えてやっていたと思います。無事に役目を終えるまで動き続けられたのも良かった。その後自分は一旦お休みしてたけど、ちょっと戻ってこようかなという気にもなってきたので、徐々に色々と見たり作れたりしたらと思ってます。継続は山あり谷あり。

SW富士は2回リードオーガナイザーをやり、その間にSWジャンキーとも言える熱量高い方が生まれて、別のコミュニティでリードを務めることになったり、起業を目指す若手の方が静岡のアクセラレーションプログラムに参加して成長した姿を見せてもらえたり。SW富士がきっかけかはわからないけど、そんな熱量も成長も見せてもらえました。3回目からはまた新たなリードが取り組んでいくので、つなげることもできたかもしれない。そんな流れを見ることができたのでやってよかった。報われた瞬間と思う。


ひっくるめて、全部その都度きっかけとタイミングがあって、そこに一緒にやってくれる方々(友人、知人、そして仲間)がいるからこそできていることであって、一緒にやれたことがある種の奇跡です。

コミュニティを探したり(見つけられたらラッキーです)、作ったり、続けたり、そして終えること(これも大事)。気軽にできないかもしれないけど、取り組むことで大きなものをもらったり、単純にハッピーなんです。いやハッピーに狂っていく。楽しさ/熱量/喜びに狂っていくのかもしれません。

やり続けることがすべての正義ではないけど、やり続けないと見えないもの、感じられないものがあって、それを感じられるのも人生の一つとして尊いものだなーと思ってます。

自分のためにとりとめないことをまとめました。でも率直にまとめたかったものでした。